“しかし、男、女に限らず人は時々なぜ、芸でもゲームでもなく、単なる気紛れや我がままを通すためでもなく、本気で罵倒したり怒ったりするのか? 適当に流しておけばいいものを。流しておけば波風も立たないものを。
それはたぶん、それよりずっとイヤなことを、知っているからだろう。
ちょっとした違和感に気づかないフリで妥協していると、態度がだんだん曖昧になる。どうでもいいものに何となく共感するのが身についてしまうと、思考は確実に鈍る。その習慣はゆっくりと自分を侵食し、見い出すべきものを見えなくさせ、自分の欲望を汚染していく。
その汚染、つまり「退廃」から身を守るためには、面倒でもいちいち怒るしかないのだ。いちいち怒ることで、つまんないことどうでもいいことを、きっぱり拒否するしかない。
そこで許していると、上に書いたように自分がやられる。体中に癌が転移していくみたいに、とことんじわじわ徹底的に、やられる。
だから人が時々何かに対して真剣に怒るのは、自分の精神衛生を守るためである。こんなものに騙されてていいのか、こんなんでほんとに満足しているのかと、人にも自分にも問うのである。
安易な共感の輪に取り込まれないで覚醒していたいと強く思えば、モテたい男でもそうせざるをえない。
”